日本の巨人伝説は全国各地に伝承されていた?ダイダラボッチほか

ここ日本でも民話や歴史書などにも巨人の存在していたという伝承の記録が残されており、ダイダラボッチの巨人の話は皆さんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
ダイダラボッチとは?
ダイダラボッチは地域によって呼び方が違いますが、デエダラボウ、ダイダラボウなどと呼ばれたりしています。ダイダラボッチは主に
- 山や川、湖などを作った
- 人間の暮らしを支えた
- 足あとや手型を残した
という伝説が全国各地にあるそうで、とても大きな巨体で、富士山から筑波山まで36歩で歩いたり、山に腰掛けたりするぐらいの巨人だったそうです。
そして世界各国にも多くの巨人伝説が存在していて、やはり同じように大きな岩を動かしたとか、人間の為に働いていたとか、多くの伝説が残されています。
そもそもなんで全国各地この逸話が生まれたのか?
ということを考えてみると、今までは古代人の人々の考えていたことは現代人の私には全く想像がつかない領域でしたが、地球の謎解きさんの情報のイシカミとイシジンの存在を知ってからは、もしかしたら、古代の人々は空想でこのような巨人の話を作り、継承していたのではなく、昔は本当に巨人は存在していたのではないかと思えるようになりました。
(と書いていると左側の背中の肩甲骨の下をポンポンポンと叩くようなサインがありました^^;。本当です?という意味でしょうか。)
奈良時代に編纂さられた地誌の『常陸国風土記』(ひたちのくにふどき)や、同じく奈良時代初期の『播磨国風土記』(はりまのくにふどき)にも巨人伝説に関する記述が残されています。
下の図は日本各地の巨人伝説の呼称です。(クリックして拡大します)各地に伝わる巨人伝説は、呼び方は変わってもいたるところにあることが分かります。
北海道ではコタンカラカムイ、東北では八の太郎や手長足長、関東はデーランボウや、ダイダラボウ、西日本ではオオヒト、沖縄ではアマンチュウなど、巨人の呼び方が様々なことが分かります。
私の住んでいる関東にも探してみると巨人伝説は沢山あります。例えば東大和市の多摩湖には、巨人の足あとと呼ばれる場所が残されており、そこには大多羅法師の頭部の像があります。
そして秩父の旧定峰峠。入り口にはダイダラボッチの伝説の看板が掲示されています。
また東京の世田谷にある代田という場所も、読み方は『だいだ』と呼びますが、ここの地名の由来はダイダラボッチのダイダからから来ているそうで、近くにある小学校の窪地付近は大きなダイダラボッチの足あとだった場所とされています。
今では人々から忘れられている存在ですが、実はここ日本にも、調べてみるとその土地にも多くの巨人伝説が語り継がれており、やはりその多くは山や岩を動かした、足あとを残した、川や湖を作ったなどというものが多いことが分かります。
具体的にはどんな伝説が伝承されているのでしょうか?次回からは各地に伝わる巨人伝説について詳しくご紹介していきたいと思います。
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